(聞き手)
地震が発生してから時系列的にお話を頂ければと思います。
(木谷様)
発災当時は、県庁の仕事でイベントを行っておりました。翌月4月の下旬に知事選と県議選、統一地方選挙があり、そのための「明るい選挙推進大会」という大会を県庁の講堂でやっておりました。3時くらいに終わる予定で、本当に終わりかけの時に、県庁講堂の音響や照明を管理する2階の部屋におり、そこが凄く揺れていた感じでした。大会が終わり、後片付けをしてきて職場に戻った時に、みんながテレビを見ておりました。市町行財政室は、直接防災
対策関係をやっている部署ではありませんでしたので、そこからはもう普通に仕事をしました。先ほどお話した兼務となるまでは、特段、業務的には関わりがありませんでした。5月になってからは、市町職員の派遣の調整をやるようになりました。
(伊藤様)
私は、ちょうど防災啓発のパンフレットが納品されていまして、それを業者から受け取って倉庫に入れている時だったので、そんなに揺れは感じなかったです。その後、県の緊急メールで津波警報が出たことを知り、津波注意報が発令されたら防災
対策部として準備体制を取る事になっておりましたので、県庁に急いで戻りました。
防災
対策部としては、まずは
情報収集を行い、三重県にどのくらいの影響があるか気象庁などから
情報収集しました。その後、沿岸市町がどのような体制を取っているのか、避難指示・避難勧告の発表状況の確認などを行いました。
(聞き手)
2010年のチリ津波で三重県にも津波到来するという情報がありましたが、その時の津波の
対応というのはどうだったでしょうか。
(伊藤様)
三重県としては津波警報が出ていましたので、各市町に対して万全な体制取ってほしいとか、避難勧告や避難指示を出したらどうか等、災害
対策本部を設置し、
対応にあたりました。テレビで海岸線に人が映っているのが見えたら「あの人を避難させてくれ」とか、そのような感じでした。
(聞き手)
東日本大震災の起きた時の状況の初期の印象というのはどうでしたでしょうか。
(木谷様)
最初職場に戻って、ヘリコプターとかから見た津波が「うわーっと来る」映像はもう既に、夕方までには流れていたと思います。あれを見て、何というか、現実にそれが起こっている事なのか、みたいな事は感じました。月並みと言うのも変ですが、これはえらい事が起こったという圧倒される感じでした。
(伊藤様)
三重県の場合、津波が来て堤防を越えるとかそういった事もありませんでした。養殖施設など水産業への被害は大きかったのですが、人命に関わる被害はありませんでした。しかしテレビの映像を見て、想像を超える状況に絶句しました。